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 土煙りをけって物見の者が注進、あわただしい軍馬のいななき、越前勢数千の来襲をつぐるや、得たりと立ちあがる武将粟屋越中守勝久の雄姿、佐柿に集結した軍勢六百余、意気既に天を呑む━━━━━━━━。
  時に永禄9年(1565)9月3日のことでした。越前一乗谷の朝倉勢が若狭を侵攻したのは、前後6回(永禄6、7、8、9、10、11年)を重ねています。名将勝久が守った国吉城は難攻不落の山城でしたが、今はそのあとかたもないまでの廃墟と化し、石卒塔婆が散乱しています。
  勝久は若狭国守護武田伊豆守義統(大膳太夫)の重臣、四家老の一人で、文武両道に秀いでた人物として評価され、他の武将のように、武器を主とする戦利品は手にせず、古典を含めた文化的戦利品を求めたと伝えられています。
 国吉城は佐柿の東方山上にあり、古くは国吉という城塞であったものを、天文、弘治の頃に勝久が補強築城し、越前に対する国境防衛の任務にあてたと伝えられています。元亀元年(1570)には乱世の三大英雄、信長、秀吉、家康らも国吉城に入っています。
 国吉城は、築城法からすれば簡単な山城にすぎませんが、椿峠を中心に付近一帯を利用した配置は、戦国戦史に大きな意義を認めさせています。
 勝久の墓は、佐柿にある勝久開基の徳賞寺本堂の裏山墓地の一隅に、高さ1.3mの苔むした五輪塔に勝久を確認する文字のないまま、昔からのいい伝えとして、現存しています。国吉城の荒廃は、戦国動乱の若狭の悲劇であり、越前一乗谷全滅の歴史とともに歩んだ戦国史の一頁なのです。
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