若狭美浜~日本海の恵みを受けた、美しい自然~

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美浜物語

早瀬の孝婦伊登

早瀬の孝婦伊登

美浜町飯切山のふもとには、偉人玉井忠五郎、寺川庄兵衛の石碑にはさまれて、孝婦伊登の墓碑が建てられています。伊登は早瀬の佐左エ門の妻で、家が貧しく、夫は遠く他国へ魚商のため、いつも家をあけており、伊登も魚をあきない生活をしていました。そのような中、舅(しゅうと)は80才を超え、年ごとに病みひがんでおり、ことごとに伊登につらくあたっていました。しかし、伊登は少しもさからうこともなく孝養をつくしました。

そしてある雪の深い日、ナスを食べたいと無理をいいだす舅に、近くの寺でナスの糠漬をもらい、川水に浸しました。それをみた水神はその孝心を憐(あわれ)み若紫色の取りたてのナスのようにしました。

早瀬の孝婦伊登

そしてある年の冬、海が大荒れの日に生魚が食べたいといいだしました。舅の言い出す無理難題に途方にくれていた伊登が家の外へ出ると、どこからともなく一羽の鳶が飛んで来ました。そして40~50cm程もある大きな魚を軒下に落として飛び去っていったといいます。

1770年5月、ときの藩主酒井修理太夫忠貫は伊登を召し出され、その善行をほめたたえ、褒米(ほうまい)を贈ったといいます。ちなみに1786年、伊登は61歳の天寿をまっとうしました。